2015.04.14
所属:介護士
年齢:23歳
セクシュアリティ:ゲイ
インタビュー日:2015年03月29日
タツヤ
初めて同性を好きになったのは、中学1年生のときです。
当時は、そのことを「ヘンなこと」とか「オカシイこと」とは感じていなくて、仲のいい女友達とかにふつうに話しちゃってたんですよね。彼女たちも「へ~、そうなんだ!応援するよ!」みたいな感じで。
それで、その年の冬に、思い切って告白しちゃうんです。彼は「気持ちは嬉しいけど、ごめん」って……。
そしたら、次の日から彼は僕を避けるようになってしまって。話そうともしないし、目も合わせてくれない。
その時、もしかしたら同性を好きになるのは困難のともなうことなんじゃないかと、気付き始めました。
結局、彼とはその後も関係を修復できないまま、別々の高校に進学して、それっきりです。
高校へ進学する頃には、自分が同性に惹かれるということや、それはきっと今後も変わらないということを、なんとなく自覚していました。
そして、「同性を好きになる自分は、将来どうやって生きていったらいいんだろう」「はたして幸せになれるんだろうか」ということを、悶々と考えるようになりました。
将来のビジョンもやりたいことも見つからないまま高校3年になり、周りが受験一色になるなか、僕は勉強に身が入らないでいました。
そんなある日、インターネットで石川大我さんのことを知ったんです。
大我さんが本を出されていることもそのときに知って、すぐに買いに走って、一晩で読みました。
そこには、学生時代に女の子が好きなフリをして誰にも打ち明けられずにいたときのこと、はじめて同じゲイの仲間と出会って初めて自分を肯定できたことなどがつづられていました。
それを読んで、僕もはじめて「自分はこれでいいんだ」と思えるようになりました。
それから、自分もなにかLGBTのサポートに関わることがしたいと考えるようになったんですが、そういう活動はやはり関東が盛んだったので、関東の大学へ進学しようと決めました。
だから正直、大学は関東ならどこでもよかったんです。
でも、行くからにはなにかLGBTに関係あることがしたいと考えるようになって、調べているうちに、ある大学の先生の紹介ページが目に留まりました。その先生が過去に発表した論文の一覧のなかに「ゲイ男性からの聞き取り」というタイトルのものがあって、この先生はそういう研究もされているのかと思って、受験の候補に入れることにしました。その大学も含めたいくつかの大学を受験し、結局そこしか受からなかったので、その大学へ行くことになりました。
大学に入学してすぐ、その先生のところに行ったんです。
「先生、こういう研究もされてるんですよね」と言ったら「君、当事者か?」と聞かれました。ストレートすぎますよね(笑)。
でも、それがきっかけで、1年生の頃から特別にゼミに参加させてもらえることになりました。
そこはマイノリティや差別の問題について研究するゼミで、在日の問題、被差別部落の問題、ハンセン病の問題など、さまざまなマイノリティの問題について学ぶことができました。
とくに、先生の方針として「当事者と出会うこと」「現場に出向くこと」を推奨されていたのが、自分にとってとてもいい影響を与えてくれたと思います。
そんな運命的な出会いもありつつ、かねてからの上京の目的だったLGBTの活動にもすこしずつ関わるようになっていきました。ゲイ向けの友達づくりイベントのスタッフをやったり、高校や大学などへ出向いてLGBTとしてお話しする出前講座に参加したり。その中で、LGBTの仲間がたくさんできました。
LGBTとしてとても辛いことがあったときも、仲間たちと一緒に怒ったり、悲しんだり、笑い飛ばすことで、乗り越えられてきたなぁと思います。
ゼミでの学びやLGBTの活動を通して、自分の生きる“軸“のようなものが見つかったような気がします。
ぼくは、ゲイでもありますけど、日本人でもあるし、いまのところは心も体も健康だし、甘党だし、遅刻魔だし…。
そんなふうに1人のひとのなかには様々な要素があって、“わたし”と“あなた”には同じところもあれば違うところもある、つまり、ひとは本当に多様なんだ、ということに気が付きました。
そして、差別や偏見が、自分とは違う他者にたいする無知や無関心から引き起こされるものなら、ぼくは、自分の周りの人たちのことをすこしでもよく知りたいし、見えない人たちのことを想像していたいと思うようになりました。
大学3年で就職活動を始めたとき、自分はものを売る仕事よりも人に関わる仕事がしたいと思い、着目したのが介護の仕事です。
ある会社の説明会で聞いた話が印象に残っています。
その人事の方は、おばあちゃんの写真を見せて、言いました。
「このおばあちゃんの好きな食べ物、なんだと思う?このおばあちゃんね、アイスが大好物なんだ。ふつう、おじいちゃんとかおばあちゃんって、モナカとかせんべいとか、そういうものが好きなのかなって思うじゃない。でも、こんなにおいしそうにアイス食べるおばあちゃんもいるんだよ」。
その時、思ったんです。ひとくくりに「高齢者」といっても、いろんな性格の人がいて、いろんな過去を経験してきた人がいて、それぞれ違う人間なんだって。
これってそんなにたいしたことはない話だと思うんですけど、でもそれを聞いて、自分がやりたいことってその“多様さ“をいかにすくっていくことなんじゃないかなって思ったんです。
目の前の人をどれだけ“そのひと”としてみられるか。介護の仕事を通じて、そういう接し方ができる人になりたいと思って、介護の仕事を選びました。
就職活動をするなかで「大学時代に一番頑張ったことはなんですか?」というのは、お決まりの質問だと思います。
ぼくは、この質問にはLGBT抜きには答えられないと感じていました。
だってぼくは、ゼミでも課外活動でもLGBTに関わることをやってきたし、それを語らなかったらそれは“自分じゃない“と思ったから。
だから、面接ではLGBTの活動に関わってきたことも話しましたし、そこで「なぜ関わろうと思ったのか」を尋ねられれば「自分が当事者だからです」と答えてきました。
でも、ぼくが伝えたかったのは、自分のセクシュアリティではなく、これまでの経験を通じてどんな学びを得たのか、自分の価値観や生き方にどう影響したのかということだったし、それは面接してくれた方たちもわかっていらっしゃったと思います。
ぼくはエントリーシートの提出含めて10数社しか受けてませんけど、最終的に4社から内定をもらいました。そのうち3社はカミングアウトしています。
今の会社にした決め手は、受けた面接のなかで一番、セクシュアリティを含めた”ぼく自身“をみてくれたように感じたのと、先に出た、人事の方の話が印象に残ったからです。
僕がいま勤めているのは、「有料老人ホーム」という、高齢者の方が入居してそこで暮らすタイプの施設です。
入居者さんたちは、当たり前ですが、性格も、こだわりも、クセも、一人ひとり違います。
集団生活なので全体の流れは止めず、そのなかでそんなバラバラな個性とできる限り向き合っていくことが、大変でもあり、やりがいでもあります。
また、高齢にともなって身体的な機能はどうしても衰えていくなかで、いまできることをできるだけ維持するためにはどうすればよいか、ご自分でできることに前向きに取り組んでいただくにはどうすればよいかといったことを考え、その方に合わせた関わり方を創出していくことも、これから取り組んでいきたいことの一つです。
面接ではカミングアウトをして入った会社ですが、実際に一緒に現場で働くスタッフたちはぼくのセクシュアリティを知りません。
職種的に40~50代の女性スタッフが少なくないのですが、彼女たちからすれば僕は年齢的には息子みたいなものです。
だからなのか、入職して間もない頃から「彼女いるの?」「彼女つくったほうがいいわよ!若いんだから」みたいなことを言われて、げんなりしました。きっと、仲良くなるための話題のひとつだったんだと思いますが…。
人事や会社としてはフレンドリーでも、毎日一緒に働く現場の人たちに理解がなければ、働く環境としての居心地は良くはありませんよね。職場でのそういったモヤモヤは、LGBTの友達に吐き出してます(笑)。
もうすぐ入職から1年が経ちますけど、言えそうな先輩何人かにはカミングアウトをしました。
やっぱり身近に知ってくれている人がいるというのは安心できますね。
探り探りでもカミングアウトしながら仲間を増やしていくことって、自分の精神安定上、大切かなと思っています。
将来的には、社会福祉士の資格を取得して、ソーシャルワーカーとして働きたいと考えています。
ソーシャルワーカーは、様々な生活上の困難を抱える人々の相談にのって一緒に解決策を考えていくお仕事かな。
あとは、その困難を生じさせている社会の仕組みや制度を変えていくことも、大事な仕事です。
ソーシャルワークのフィールドについては、関心のある分野が多くてまだしぼっていません。
ですが、なにかしらLGBTと関わりのあることに取り組みたいと思っています。
例えば、LGBTとメンタルヘルス、LGBTと貧困、LGBTと子育てなど……。
それでも、基本はやっぱり、その人がLGBTであってもなくても、“一人のひと”として接することを忘れずに関わっていける人になれるよう、いまは目を、耳を、ハートを養っていきたいと思っています。